文系と理系の間で

皆さんもご承知の通り、世の中には文系と理系という区分があります。大抵の人は高校で文理のどちらかを選択させられる訳ですが、ここでの大きなファクターはおそらく数学の出来/不出来または好き/嫌いでしょう。かく言う僕は、かつて「数学が好き」という思いだけで理系を選び、後になって適正の無さに絶望しました。さて、愛と適正の関係を語るのはまたの機会にするとして、今日は別のテーマを。

 

質問です。

あなたは、人間と自然のどちらを理解したいと思いますか?

人間と自然という対比に違和感を覚えた方もいらっしゃることでしょう。僕の表現力不足の致すところです、申し訳ありません。要は人間と人間以外という意味です。(人間も自然の一部とする見方もできますが、今日は文系と理系についての話ですから自然は客体として扱います。)

余りにも素朴な問いなので「もうお気づきの方も…」なんて表現は使いませんが、先程の質問は自然を理解したいなら"理系"、人間を理解したいなら"文系"という風に分けられるということです。

このような分類の下では、文系と理系の間に位置関係が生まれます。社会的動物である人間にとって、心の理解は生存に直結する問題だからです。昔であれば食料の調達や情報の入手など生活のあらゆる面で社会性が必要とされましたし、現代でも他者への思いやりや配慮に欠ける人はコミュニティから淘汰され、人間らしい生活を失っていくでしょう。以上の観点からは、文系は理系より人間の本質的な部分に根差すものと言えます。

もちろん、「自然を理解したい」という強烈な欲求もまた人間にとって本質的であることは歴史的にも明らかです。綺羅星のような輝きを放つ偉人たちが何千年にも渡って自然というものについて考えてきたのですから。ただ、上の一段落を理系ディスのように捉えられると困ってしまいます…理系的論理だけでは正常な社会生活を営めない恐れがある、という当たり前のことです。それほど理系に偏った人に出会ったことはありませんが。

ちなみに、友人各位はご存知だと思いますが、僕は心(人間)を理解したいと思うタチです。完全な理解が不可能であることはもちろんですが、それでも「この人は今何を考えているのだろう」「この人の性格上、次はこんな行動をすると思うけれど実際にはどうだろう」などと常に考えてしまいます。傲慢で臆病、良くないですね。僕の身体を流れるメーン・ヘラーの血が…この血が!!

話が逸れました。まあ本筋なんて無いのですが。

ところで、理系の学問にも色々ありますね。大雑把に言えば、理系の極みに数学、物理学、生物学、化学、地学。少し文系よりに農学、工学など。文系と理系の中間に医学…と言った具合でしょうか。こうしてみると、学際性と実用性は正比例するように見えますね。そもそも実用性を高めるために学際的になるのだという話もありそうですが、ここで深入りするのはやめておきましょう。また、数学を理系の極みとするのも問題がありそうです。ドラマ「ガリレオ」で福山雅治がガシガシと一心不乱に式を書いていくシーンを覚えていらっしゃる方も多いと思いますが、世間一般にとってはあれが「理系」イメージそのものでしょう。しかしながら、純粋数学を除く自然科学の研究者にとって数学とは道具に過ぎず、学問の本質とは異なるもののはずです。

 

話が迷走してしまいましたが、いかがでしたか?

理系の本質とは「自然の理解」

文系の本質とは「人間の理解」

理系と文系、非難されることの多い捉え方ですが、僕には奥の深いものに見えます。あなたにも面白く思っていただけたなら幸いです。僕も考えが進んだらまたこのテーマで書こうと思いますが、いつになることやら。

ここまでお付き合いいただきありがとうございました。それでは、また。