デカルトについて(3)

では、彼の思考過程における様々な問題について検討していきましょう。

 

今回は主要命題「cogito ergo sum」の意義に関しての導入です。

Step3 主要命題
しかし、私は次のことを認める。あらゆるものが疑われる中であっても、一つのことは確実である。つまり、私が考えるが故に、欺かれていたとしてもそれ故に(※)、私があるということを私は自覚する。(cogito ergo sum)

 

まず誤解を避けるために言っておかなければなりませんが、cogito ergo sum(我思う、ゆえに我あり)は推論ではありません

推論ならばsum(我あり)を導くための別の真理が必要となりますが、この思想はむしろ根源的、絶対的真理であろうとするからです。ergo(ゆえに)は推論を表すのではなく、簡便のため、単に推論に似た形で表現されたものにすぎません。

「誤解を避けたいなら、表現を変えれば良いのでは?」とお考えになるかもしれません。ごもっともです。

しかし、例えばergoを除いて「cogito, sum(我思う、我あり)」などと言い換えてみたところで、ただの並列だけが残り、意味的な連関が切れてしまいます。「cogitans, sum(我思うとき、我あり)」と言い換えた人もいたようですが、不必要な限定をすることになる上、cogitoとsumの対等性が失われ、もっぱらsumにアクセントが置かれてしまうことになるでしょう。

そして何より、思惟する人が現前的に存在するという事態そのものを感得すること、その表現としてのcogito ergo sumこそが懐疑を打ち破る力を持つのです。これは論理的な理解などではなく、むしろ一つの実存的原体験と言えるかも知れません。

 

思惟がそれ自身において一つの存在として自己を認識すること(= cogito ergo sum)によって生まれる確実性は、いかなる規定からも脱してしまうために絶対のものとなります。前述の通り、これは根源的真理であろうとするからです。