ロールプレイ・ロールプレイ

おはようごさいます。こうも蒸し蒸しされてしまうと、通学への意思が萎えてしまいますね。豚まんになりそう。夕方には止むそうですが果たして…

 

以前の記事「渡る世間に」では、「本来の自分(自己像)」を自由で幸福なコミュニケーションの中で立ち現れる自己像と規定しました。では、一人でいるとき、特にゲームをしているときメタ的に認知される自己像は何なのでしょう?

 

例えば、自室で一人シューティングゲームをしているとき。キルされて、とっさに普段は使わないような罵言を吐いてしまう人は一定数いますよね。いつもは物腰の穏やかな僕の友人も、CODのプレイ中は放送禁止用語をポンポン言うように荒れてしまいます。

これには大きく分けて3つの理由があると思います。

  1. 社会的抑圧が無くなったため
  2. ゲーマーのロールプレイとして
  3. ストレス発散のため

まず1については、普段は周囲の目があるために罵言を自制しているということです。欺瞞の香りがしますが、社会的制約の大きさはあなたも感じる通りです。これは3の基礎とも言える部分かも知れません。

2は格ゲーの大会などを見るとわかり易いでしょう。いつもはとても優しい方でも勝負となるとキツい煽りをかましたり、暴言を吐いたりしますから。しかし、煽りや暴言はもはや格ゲーの文化として確立されていると言っても過言ではありません。つまりは「お約束」としての行為です。ゲームをプレイする上で、そのジャンルの「お約束」を忠実に遂行することは身内受けしますし、充実感を得ることもできるでしょう。

そして3は、イケナイコト感にひたることで日頃のストレスを発散するということです。防衛機制の「退行」については高校の保健体育で教わったと思いますが、あれと似ているように感じます。また、汚言症とも関連していそうですが、素人がヤイヤイ言って許される領域ではないので立ち入りません。

おそらく、2と3は割と近い関係にあると思います。3のイケナイコト感は「普段と違う自分」を実感することで日々の社会的文脈から逃れる行為ですし、同様にロールプレイも普段と異なる自分を演じる行為です。

 

さて、本題の自己像について…書こうと思ったら、かなり話がズレていますね。まだ考えが十分に進んでいない証拠でしょうか。結論としては、やはり真の自己像は対話の中に現れるもの…ということになりそうですが、もうちょっとしっかり考えてから改めて書きたいと思います。

 

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

また次回!