ぐるぐるり

先日、「リメンバー・ミー」という映画を友人と立川シネマシティの極音上映で観てきました。

立川シネマシティは映画オタクたちの血と汗と涙とその他諸々でできている狂った映画館(MAD MAXならぬMAD BOXとかどうだろう?)でして。日本一の映画館です。ローン返済中だそうなので是非行ってください。できれば一緒に行きましょう。

 

 

お二人とも素敵だなぁ。

 

立川シネマシティについては上記の記事を読んだほうがいいと思うので、ここからは「リメンバー・ミー」についてちょっとだけ。

いやぁ、PIXARナメてました。泣きこそしませんでしたが、映像、音楽、ストーリーのいずれも完成度が素晴らしく高かったです。また馴染みの薄い文化でも違和感無く、するりと理解させてくれるのは流石の一言。まぁ、あまり色々考えず素直に楽しむのが粋ってものでしょう。一つ文句があるとすれば、主題歌の中毒性の高さですね。

 

 

劇場で聴いて以来、気を抜くとこの歌が口をついて出るようになってしまいました。困った。歌詞もいつの間にか覚えていましたが、その点については自分の成長を感じます。昔は歌詞の意味も考えず、適当にふにゃふにゃ歌っていましたから。この歌の後半はスペイン語なので、そこは今でも雰囲気で歌っています。 れーくうぇるだーめー♪

上の動画を見るだけでもPIXARのアニメーション技術の向上具合が窺えると思います。鑑賞後、肌のテクスチャや光の表現が本当に凄いと友人が興奮気味に話していました。特にママ・ココ(おばあちゃん)の肌と髪…これが本当にCGなのかと疑ってしまいますね。ミゲル(少年)との対比で一層見事に見えます。


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いま検索してみたのですが、「リメンバー・ミー」は第90回アカデミー賞の長編アニメーション賞と主題歌賞を受賞していたそうです。あまり「権威ある賞」が好きではないのですが、これには納得。やるじゃん、アカデミー賞。わっはっは。

それと関連して。一年くらい前まで流行りものが苦手だったのですが、歌や映画に関しては克服できたようです。「スター・ウォーズ 最後のジェダイ」や「シェイプ・オブ・ウォーター」を観たときも、特に抵抗なく楽しめました。きっと、たくさんの素敵な作品を見逃してきたのだと思うと悲しくもあり、世界が広がったようで嬉しくもあり。でも…流行りのお笑い芸人は今のところ克服できそうにありません。

 

今回もとりとめの無い記事になってしまいました、申し訳ありません。一つのテーマについて長く書くことが目標ですが、どうにも楽な方へ流れてしまいます…

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。また次回!

頭ゆるふわ系男子

今日は風が強かったですね。メイストーム春の嵐というやつでしょうか。特に花粉症の方には辛い一日だったと思います。僕もここのところティッシュを手放せない鼻模様ですが、花粉症なのか別のアレルギー(犬、ハウスダスト etc.)なのか、原因ははっきりしません。

 

僕は基本的に自室から出たくない気質なのですが、昨日はちゃんと外出してきました。偉い。

それも、新歓というものに参加してきたのです。すごく偉い。

でも、すごく偉いことをしたので、すごく疲れました。ねむい。(IQ3)

 

自己肯定で思い出しましたが、入学ガイダンスの際に偉い人が「諸君には今、この場で、絶対的な自己肯定をしてもらいたい」と宣っておられました。まぁ、それができれば誰も苦労はしません。要旨は学歴コンプを持つなということでしたが、見ず知らずのおじさんに突然そんなことを言われても何ともならないでしょう。また、人は何かしらのコンプレックスを抱えていて、それもその人"らしさ"を形づくる一つの要素であるというのが持論なので、安易にコンプレックスを悪とする考えに反発する気持ちもあります。

 

話が逸れました。長期的な環境の変化に弱い僕にとって、大学進学という大きな変化はそれだけでかなりのストレスになります。新しい通学路や学習環境、何より新たな人間関係の構築による負担は僕の心身にじわじわとダメージを与えてきます。ポケモンの毒状態みたいなものです。無視して動き続けると瀕死になってしまいます。これを避けるには、昔からの友人と食事したり、遊びに行ったり、ゲームをしたり。(僕にとって)質の高いコミュニケーションを長めにとる必要があります。対話を通じて本来の自分を取り戻す、と言うと大げさになりますが、そんなところです。友人各位、いつも本当にありがとうございます。一人で部屋にこもって読書とゲームに没頭しても回復はしますが、前者には劣るように感じますから。

 

「本来の自分を取り戻す」について補足を書こうとしましたが、長くなりそうなので改めて記事にします。本来の自分って何だろうと考えるとまた話が大きくなりそうですから、社会的文脈と自己像についてフォーカスして書けたらいいなと思っています。あいでんててー。

 

疲れからか、普段にも増して脈絡が無いですね。許して下さい。(赦しは人間の行為の不可逆性を補うもの…というのもいずれ書きます) 

 

ところで、疲れると饒舌になる人と無口になる人がいますが、おそらく僕は前者です。疲労が溜まるにつれ、思いつくままにペラペラと薄っぺらいことを喋ったり(←上手い)ツイートしたりするようになります。この文章もほとんど指を止めることなく書いていますが、質の面から見ると良いことでは無いでしょうね。

とはいえ、このような性質も疲労の程度によります。今は言うなれば「ほろ酔い」期、理性の働きが落ちて気分よく放縦につらつらと喋る/書く状態です。しかし、今よりも疲労の度合いが高くなると「酩酊」期、次いで「泥酔」期へと突入します。こうなるともう何もできません。本を読むことはおろか、lineの返信を書くことも、スマホを開くことさえも面倒に思えてきます。後は寝るしかないのですが、寝ようとすると却って目が冴えてしまい、とりあえずTwitterを開いてTLを遡り、端からふぁぼを…としている内に意識は闇に包まれ…と、ここまでがお決まりのパターンです。疲労だけでこれですから、酒なんぞ呑んだ日には大変なことになるでしょう。乞うご期待。

 

今回はかなり勝手に書き散らしてしまいましたが、ここはもともとそういう場所でした。えへん。内容が薄い代わりに多少は読みやすくなっていると思いますので、ご容赦ください。ちなみに今回の一応のテーマは、疲れると僕はこうなりますよ、ということでした。いま読み返してみましたが、だいたい普段のツイートと同じ程度の内容になるようです。

今回もお読みいただきありがとうございました。また次回!

Amazonって素敵だな〜♪

Twitterでも言いましたが、昨日amazonのPrime Studentに加入しました。

一年前は、このプランを知ってルンルンしながら申請したものの

僕「学生だよ!お金払うから加入させてね!」

amazon「浪人生は学生じゃないよ?」

僕「(´;ω;`)ウッ……」

悲しかったなぁ。

しかし、私はもう立派な(?)大学生。

amazonよ!私は帰ってきた!!


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[ニコニコ本社大爆発素材] http://nico.ms/sm31081225?cp_webto=share_others_androidapp

amazon爆破するのは怖いからね、仕方ないね。

 

さて、Prime Studentの特典の内容ですが

当日お急ぎ便(通常514円)・お急ぎ便(通常360円)、お届け日時指定便(通常360円)が何度使っても無料

・今なら加入時に2,000円分のクーポン付与
・Prime Videoで人気の映画・TV番組が見放題

・Prime Musicで100万曲以上が聴き放題 (Unlimited:4000万曲  の利用には別途課金)

・Prime Readingでマンガや雑誌、本がお手持ちの端末で読み放題

・Prime Photoで無制限の安全な写真ストレージ
・本がいつでも10%Amazonポイント還元!(雑誌・コミックを除く)

アフィリエイト目的のブログでも紹介されまくっていますが、実際お得なんだからまぁ良いでしょう。個人的には本の10%還元とPrime Video/Musicが大きいですね。

お得過ぎてもやっとする部分もありますが(個人情報の流出とかね)、アメリカでは利用者の2/3がプライム会員だという調査も出ていますから「死なばもろとも」の精神で積極的に利用していきます。


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↑公式が出している訳ではないので微妙ですが、目安にはなるでしょう。

 

夜に書くと陰鬱な雰囲気になりがちですが、午前中にさらっと書くのは頭の体操になって良いですね。昨日も似たようなことを言いました。それだけ実感が強いということで此処は一つ。

今回もお読みいただきありがとうございました。また次回!

植林場として

ある方から「ブログ始めた理由早めに書いた方が良いのではと思う(原文ママ)」との意見を頂いたので、今日はブログ開設の動機などをもぞもぞと。

 

一言で言えば、アウトプットの練習です。ここ一世紀ほど、まともな長文を書いてこなかった(と言うか意識的に避けてきた)ので「自分には書く力が無いのではないか」という不安が身の内に渦巻いているわけです。大学というところではレポートなるものを量産しなければならないそうですし、このままではいかんと。(レポート10000字?一いちまんじ?卍ならそこにいっぱいいるから好きなだけどうぞ。)

焦りからイキリ哲学徒みたいなツイートを連発してフォロワーに迷惑をかけたりもしたので、何か新しい媒体を…と考えていたところに友人がブログを始め「これだ!」と思い、勢いで開設したのがここです。乗るしかないこのビックウェーブに。

 

初日にも書きましたが、更新は気まぐれです。のんびり、ゆるゆるふわふわと書いていくつもりですのでお付き合いください。

朝に一気に書き上げるのは気持ちのいいものですね、爽やかな気分です。では、また。

文系と理系の間で

皆さんもご承知の通り、世の中には文系と理系という区分があります。大抵の人は高校で文理のどちらかを選択させられる訳ですが、ここでの大きなファクターはおそらく数学の出来/不出来または好き/嫌いでしょう。かく言う僕は、かつて「数学が好き」という思いだけで理系を選び、後になって適正の無さに絶望しました。さて、愛と適正の関係を語るのはまたの機会にするとして、今日は別のテーマを。

 

質問です。

あなたは、人間と自然のどちらを理解したいと思いますか?

人間と自然という対比に違和感を覚えた方もいらっしゃることでしょう。僕の表現力不足の致すところです、申し訳ありません。要は人間と人間以外という意味です。(人間も自然の一部とする見方もできますが、今日は文系と理系についての話ですから自然は客体として扱います。)

余りにも素朴な問いなので「もうお気づきの方も…」なんて表現は使いませんが、先程の質問は自然を理解したいなら"理系"、人間を理解したいなら"文系"という風に分けられるということです。

このような分類の下では、文系と理系の間に位置関係が生まれます。社会的動物である人間にとって、心の理解は生存に直結する問題だからです。昔であれば食料の調達や情報の入手など生活のあらゆる面で社会性が必要とされましたし、現代でも他者への思いやりや配慮に欠ける人はコミュニティから淘汰され、人間らしい生活を失っていくでしょう。以上の観点からは、文系は理系より人間の本質的な部分に根差すものと言えます。

もちろん、「自然を理解したい」という強烈な欲求もまた人間にとって本質的であることは歴史的にも明らかです。綺羅星のような輝きを放つ偉人たちが何千年にも渡って自然というものについて考えてきたのですから。ただ、上の一段落を理系ディスのように捉えられると困ってしまいます…理系的論理だけでは正常な社会生活を営めない恐れがある、という当たり前のことです。それほど理系に偏った人に出会ったことはありませんが。

ちなみに、友人各位はご存知だと思いますが、僕は心(人間)を理解したいと思うタチです。完全な理解が不可能であることはもちろんですが、それでも「この人は今何を考えているのだろう」「この人の性格上、次はこんな行動をすると思うけれど実際にはどうだろう」などと常に考えてしまいます。傲慢で臆病、良くないですね。僕の身体を流れるメーン・ヘラーの血が…この血が!!

話が逸れました。まあ本筋なんて無いのですが。

ところで、理系の学問にも色々ありますね。大雑把に言えば、理系の極みに数学、物理学、生物学、化学、地学。少し文系よりに農学、工学など。文系と理系の中間に医学…と言った具合でしょうか。こうしてみると、学際性と実用性は正比例するように見えますね。そもそも実用性を高めるために学際的になるのだという話もありそうですが、ここで深入りするのはやめておきましょう。また、数学を理系の極みとするのも問題がありそうです。ドラマ「ガリレオ」で福山雅治がガシガシと一心不乱に式を書いていくシーンを覚えていらっしゃる方も多いと思いますが、世間一般にとってはあれが「理系」イメージそのものでしょう。しかしながら、純粋数学を除く自然科学の研究者にとって数学とは道具に過ぎず、学問の本質とは異なるもののはずです。

 

話が迷走してしまいましたが、いかがでしたか?

理系の本質とは「自然の理解」

文系の本質とは「人間の理解」

理系と文系、非難されることの多い捉え方ですが、僕には奥の深いものに見えます。あなたにも面白く思っていただけたなら幸いです。僕も考えが進んだらまたこのテーマで書こうと思いますが、いつになることやら。

ここまでお付き合いいただきありがとうございました。それでは、また。

東京特許許可局

東京特許許可局は、実在しません」

「実際には特許庁です」

「とっきょちょう、とっきょちょう、とっきょちょう」

「…言いやすい」

ラーメンズの「不思議の国のニポン」( https://youtu.be/enoUCj-WNCI )の一節です。ラーメンズの中でも有名なネタですね 。ご存じない方も、面白いので是非。

 

そんな訳で(?)今日は特許の話を少しだけ。

コトバンクによれば

特許とは高度な技術的工夫を発明として発明者の独占を認めることをいう。特許権は出願から20年(一部は延長により25年)の間保護される。https://kotobank.jp/word/%E7%89%B9%E8%A8%B1-23000 

とのことです。これ、何で必要なんでしょう?

特許権によって独占を認めれば、発明者以外の人はその技術を利用することができなくなります。また、発明者に利益が集中するので企業が製品化に躊躇するかもしれません。このような不利益を他者に強制することが、なぜ許されているのでしょうか?

答えは、純粋に政策的な理由です。もし発明者に独占を認めなければ、多くの人にとって他者の発明を模倣することが最も効率的な戦略となり、結果的に社会全体の知的創造は停滞してしまいます。それを避けるために、特許権は"つくられた"のです。

 

つまり知的財産権は、いや、権利という概念自体が不自然なものであって…と続けることもできそうですが、ボロが出そうなのでこれくらいに。

ここまでお付き合いいただきありがとうございました。また次回!

皆もすなるぶろぐといふものを

…われもしてみむとて、すなり。 

 独創性の欠片もない導入をしてしまいました。

はじめまして、きのです。ご覧いただきありがとうございます。

ブログを始めるに至った経緯は後日改めて記事にしようと思います。日記もロクに書いたことがないので更新はかなり気まぐれになると予想されますが、お付き合い下されば幸いです。